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中毒兄妹

 深夜の静寂の中、マウスとキーボードを操作する音、そして低くうなりをあげるパソコンのファンの音だけが部屋に響く。俺、南浩介は深夜3時を過ぎたにも関らず、パソコンと戯れ続けていた。何をしているかというと、オンラインゲーム、いわゆるネトゲである。ご存じの方も多いであろう。簡単にいえば、インターネットで通信しながらプレイするゲームで、見知らぬ人とチームを組んでゲームを進めることもある。このネトゲ、けっこう中毒性があり、だから俺はこうして夜が更けたにも関らずプレイし続けているのである。もちろん普通のゲームも中毒性はあるのだが、ネトゲに関しては格が違うのだ。ただ、実のところ、こんなことをしている場合ではなかった。俺は一応高校2年で、明日は月曜日。いい加減にそろそろ寝ないといけないわけだが、頭では分かっていても、目の前の欲求に抗い切れず、惰性でプレイを続けていた。
 プレイヤーとの会話を終え、ふいに便意が生じていたことに気付く。いわゆるネトゲ廃人ともなると、ペットボトルの中に用を足してしまう猛者もいるらしいが、俺はさすがにそこまで落ちぶれてはいない。そっと扉を開けて冷え切った廊下に出る。さすがに11月ともなると寒い。自宅は平均的な木造2階建てで、築10年以上経過しており、俺の部屋は2階。1階の親に見つかるとまた小言を言われて面倒だ。足を忍ばせる。しかし、一番緊張が走るのは、親の部屋の前ではなく、俺の隣の部屋の前だ。ここを通る時、俺はいつも緊張のあまり体がこわばってしまう。背筋に何か冷たいものが走り、本能が、ここは危険だと知らせているような気がするし、何年も閉じられたままではないかと思うほどがっちりと閉じられた扉からは、目に見えない負のオーラが漏れ出ているように思える。何を大げさなと思うかもしれないが、ここは俺の妹・志乃の部屋なのである。何しろ、俺の妹は只者ではない。現代社会で絶賛問題となっているあの話題の「ひきこもり」なのだ――。
 妹がひきこもりになったのは1年以上前である。もともと部屋にこもりきりな性格だったんだが、中2あたりから完全にひきこもってしまった。妹のひきこもりは徹底していて、ほんとうに部屋から出てこない。夜になったらウロウロ近所を徘徊するような、生半可なひきこもりではないのだ。そういうわけで、俺は妹を1年以上1度も見たことがない。もはや顔すらあんまり覚えていない。小柄で痩せていて、青白い顔をしていたということくらいしか記憶にないありさまだ。そういえば風呂とかトイレとかどうしているんだろうか。まさかペットボトルで用を足しているのだろうか。想像しただけで気持ちが悪い。あれは都市伝説だと思っていたんだが…。
 というわけで、妹の部屋の前は異様な威圧感があった。なにしろ、1年以上ほとんど出てきたことのない奴がいる部屋である。開けることが許されているのは、食事とかを運ぶ母親だけだ。俺とかが開けたらどうなるのか分かんないし、想像したくもない。リアルに包丁を持って飛びかかって来られたりしたらかなわない。触らぬ神にたたりなし、君子危うきに近寄らずである。
 そんなことを考えながら俺は1階で用を足し、親に見つかることもなく、無事2階へと戻ってきた。注意深く妹の部屋の前を通る。妹の部屋からは、パソコンを操作する音以外はほとんど何も聞こえない。何をやっているのかは知らない。少なくとも俺には関係のないことだ。なるべく物音を立てないように自分の部屋にすべりこみ、パソコンに飛びついて再びネトゲの世界へと戻った。
 翌朝、案の定ひどい倦怠感を覚えながら俺は高校へと向かうために家を出た。夜遅くまでゲームをすると当然寝不足となり、朝は特にしんどい。いつも後悔するのだが、夜更かしをしている最中は妙な高揚感があり、やめられない。特にネトゲともなるとなおさらである。ネトゲによって全世界の労働力の損失はいったいどれくらいになっているのだろうか――いよいよ秋も終わりに近づき、冷たさが増してきた朝の空気に縮こまりながら、そんなとりとめもないことを考えていると、後ろからふいに肩を叩かれた。誰かは分かっている。俺の家から10軒ほど離れたごく近所に住んでいる、幼馴染の山野京子である。
 俺は女という生き物は大の苦手だ。これは物心ついたときからといってもよい。しかし、そんな俺にも例外があった。それが京子である。俺はもともと人見知りで人と関るのは苦手なほうなんだが、その一方で、いったん仲良くなった者とは親密になる。京子もその一人だった。京子は別に美人でもないし、背が高いというわけでもない。ごくごく普通の顔立ちで、色は白く、どちらかというとやせている。第一印象はおそらくほとんどの人がおとなしそうな子だと思うだろう。どこにでもいるような真面目そうな女子高生だ。その平凡さが俺を安心させる。恋愛感情とかは全くなく、ただ単に気楽に話ができる相手である。女子とは滅多に会話をすることのない俺であったが、こいつだけとは普通に話せた。
「浩介、今日も眠そうだね~だめだよ、また夜中までネットしてたんでしょ」
さすが、ばっちり見抜かれている。
「人間いつまで生きられるかわからねえんだ、好きな時に好きなことをやっとくのが一番よ」
「またまたそんなこという~」
歩きながらとりとめのない会話を続ける。こういう会話ができる気楽な関係というのは貴重だとつくづく思う。

 その夜も家に帰るなりすぐにパソコンを立ち上げた。完全に中毒である。実を言うと、俺がオンラインゲームに中毒になっている理由は、ゲーム内容が面白いからだけではない。あるプレイヤーにゲーム上で会って、一緒に仲間になって対戦したり会話をしたりするのも、俺がオンラインゲームにはまっている理由の1つだ。ちなみに今はまっているオンラインゲーム『Last Quest』では、「マユ」という女と仲間になっていた。現実世界では女というと京子ぐらいしか話せる相手がいないが、ゲーム上では平気だ。もちろんゲーム上では女となっていても、実際はどうなのかはわからん。オンラインゲーム上では、男が女の設定でプレイすることはよくあるらしく、「マユ」も男かもしれなかったが、そんなことはどうでも良かった。とにかく「マユ」といる時間は楽しかったのだ。「マユ」とは住んでいる場所も近いらしく、ご近所ネタでも盛り上がった。でも実際に会おうなんて思わない。こういうのはゲーム上だから楽しいのである。

マユ:「こんにちはー」
コウ:「こんにちは、明日はメンテだってよ」
マユ:「メンテとか早く終わって欲しいなあ・・むぅ・・・」

 ちなみに「マユ」も俺と同じくネトゲ中毒者である。何度か、どうしたらこの中毒から抜け出せるかなあ、などという相談を受けたことがあるが、何しろ俺も同じ中毒患者なんで残念ながら解決策が見つからない。「マユ」も俺と同じく、現実世界では楽しくない生活を送っているようで、友達もいないらしく、どうやったら自分が変わることができるんだろう、といつも思い悩んでいるようだ。そんな「マユ」を慰めつつ、ゲームをプレイしていく。現実世界での嫌なことから逃げるように没頭する。嫌味な教師、ちょっかいを出してくる同級生、引きこもりの妹、そのことで毎晩喧嘩する両親、上がらない成績、目標のない将来…それら全てを吹っ切るように、俺はゲームの世界に没頭した。毎日がこの繰り返しだ。代わり映えもせず、何か事件が起きるということもなかった。俺はこのまま冬休みを迎えると思っていたんだが、しかし、そうはならなかった。

 12月も上旬を過ぎたころであった。このところ、京子は元気がなかったのであったが、その日はさらに暗い様子であった。何も悩みのないようにボケッとしているのが本来の京子である。それが落ち込んでいる様子とあれば、俺も心中穏やかでなかった。
「最近どうしたんだよ? 元気ないじゃないか」
京子は首をふりながら、足元のほうを見ながらいう。
「ううん…何でもないの」
京子が目を合わせないでうつむきながら話すときは、何かしら隠し事をしているか、嘘をついているときである。
「実はね…誰かにつけられているの」
小声で周りを見回しながら京子は言った。
「詳しい話…あとで電話でもいい…?」
もちろんイエスだ。どうやらただ事ではないらしい。

 その夜、俺は自室で携帯電話を使い、京子からこっそりと相談を受けた。京子から聞いた話をまとめるとこうだ。京子は最近ネットオークションサイトにはまっており、色々とグッズなどを買っているらしい。で、ある日、個人の趣味でマンガを描いている人の作品(こういうのを同人とかいうらしい)を購入した。商品が家に無事送られてきたまでは良かったのだが、そのあと、なんと売主がやっぱり返してほしいと言ってきたらしい。京子は、代金も払っているし商品もすでに受け取った、いまさら返してと言われても困ると答えたところ、相手は「絶対に許さない!」と宣言するほど激高したという。どうせネット上のことだからと、京子はそのとき無視したんだが、ところがどっこい。商品を送ってもらうときに住所を知らせていたのが盲点で、この出来事があった後、登下校中や家の周りで、時々見知らぬ女に物陰から監視されるようになったとのことだ。

「心理的圧力をかけて商品を返してもらおうってことか。どんだけその商品に執着してるんだ…」
「実はね、そういうことがあったから、商品はもう送り返したんだよ」
「え…じゃあなぜまだついてくるんだ?」
「分からないわ。私は丁寧に扱ったつもりだけど、何か傷がついていたのかもしれない。もしくは、女は嘘の住所を書いていて、その嘘の住所の人が郵便を受け取っちゃったのかもしれない。私もうかつだったんだけど、女は毎日のように私のまわりに現れるのに、女が知らせてきた住所はここから200kmも離れたところなの」
うーむ。これは思った以上に深刻である。インターネット上は案外恐ろしく、出入りする場所によっては、現実世界では滅多にお目にかかれないような人格破たん者に会うことがある。京子は運悪く、そういう奴にひっかかってしまったようだ。
「うーむ。警察も事件が起きないとこういうケースではなかなか動かないと聞くな」
「どうしたらいいんだよう」
「まあ待ってろ。俺もちょっと考えてみるからさ。まあきょうはそろそろ寝てゆっくり休んだほうがいい。0時まわってるし」
「うん、浩介もね、早く寝てね」
「わかってるわかってる」
そう言って携帯電話を切る。通話時間は2時間を超えていた。あまり知り合いのいない俺にしては、久々に携帯電話を使ったという感じだ。しかし、解決策を考えるとは言ったものの、一向に思いつかない。情けないことに、手は自然にパソコンに伸びていた。そうだ、ネトゲのプレイヤーに相談してみたら何か分かるかもしれない、だからネトゲをしよう、そう自分に言い訳をして『Last Quest』を起動する。ほどなくして「マユ」が現れた。

コウ:「こんばんはー」
マユ:「こんばんはぁ。きょうはおそかったね」
コウ:「ちょっと色々あってね」
マユ:「ふ~ん。そういえば今日はどこ行く?」
コウ:「きょうは東の谷に行こうと思ってる」
マユ:「そういやあそこってまだあんまり行ってなかったね」
コウ:「ああ~それにしても・・・・疲れた」
マユ:「どうしたの? 何か深刻な悩みがありそうだね」
コウ:「うーん、ちょっと色々とね」
マユ:「怖い人に目をつけられたりするとたいへんだからねえ、コウも気を付けなよ」
コウ:「気をつけるよ」
 とりとめのない会話をしながら、俺はゲームの世界に没頭していった。


 何の手だてもないままあっという間に数日が過ぎた。冬休みが近いというのに、京子の表情はますます暗くなっていく。町内会でも徘徊する女がいるということで話題になったが、女は話しかけようとすると逃げるため、なかなか手の打ちようがなかった。俺も時々窓の外を見て、10軒隣の京子の家に不審者がいないか確かめているが、いまだにその姿を確認できていなかった。俺は日曜だということで、当然ネトゲをプレイしていたが、やはり外が気になり、なかなか没頭できなかった。
 そうやって窓とパソコンとを往復していると、ふいに京子から電話がかかった。すぐにとる。
「どうした?京子」
「いま、誰かが扉を叩いてる!」
 すぐに俺は窓の外をみた。ここからは見えない。部屋を飛び出し、猛烈な速さで家の外に出た。黒っぽい服を着た女が逃げている。
「おい!待て!」
 思わず叫び、俺は必死においかけた。しかし悲しいかな、日ごろの運動不足がたたり、角を曲がったところですぐに見失ってしまった。ネトゲでは早く走れても、現実世界では俺は走るのが著しく遅い。息を切らしながら京子宅を訪れた。
「京子――俺だ俺、すまん!見失った」
京子は本当に玄関の先にいるのが俺か、注意深く確かめたあと、急いで俺を招き入れた。
「どうしよう・・」
「とりあえず警察に連絡したほうがいいな。俺も部屋にいてやる」
京子の両親は休日も時々働いていることがあり、運悪く今日はその日であった。京子を安心させるためにも、俺がいてやるしかない。

 警察には連絡したものの、最寄りの派出所はパトロール中で留守であった。警察署に連絡し、至急近辺を警戒してもらうように頼んだ。町内会長のおっさんにも念のため電話するが、こういうときに限って旅行中との留守電メッセージが流れる。使えねえ。少なくとも京子の両親が帰ってくるまでは、俺がこの部屋にいる必要がある。しばらくとりとめのない会話をして、京子を安心させることにした。
 しかし、習慣というものは恐ろしいもので、この非常事態と言うのに俺はネトゲの続きがしたくなってきた。言い訳をしておくと、人間は非常事態になると、恐怖を紛らわせるためか不可解な行動をとることがあるらしいが、その類かもしれない。「警戒されているのは女も分かるだろうし、今日はもう来ないだろう」「ネトゲくらいしても大丈夫だろう」「玄関に鍵かけているから、万が一奴が来ても危険が生じることはないだろう」などといった根拠のない推測をしてしまう。結局、情けないことに京子のパソコンでネトゲをさせてもらうことにした。実を言うと、いつでもネトゲができるよう、俺は以前京子のパソコンに必要なアプリケーションをインストールしていたのである。
 そうして俺はネトゲに没頭した。京子も、俺が来て安心したのか、小説を読みふけっていた。しかし、今から思うと完全に油断だったのだ。
 数十分後、俺はあまり強くないモンスターがいる地帯で、モンスターが出現してはすぐに退治し、という単純作業を繰り返していた。こういう単純作業を反復している時というのは、操作はすごく早くなっているが、意識レベルは低下している。だから、俺は京子の「アッ」という声がするまで、周囲の異変に全く気がつかなかった。咄嗟に振り向くと、そこにはいてはならない者がいた。一瞬、脳が認識を拒絶する。体全身に電流が走ったように硬直し、頭が真っ白になる。そこには、包丁を持った女が立っていた。誰だこいつは。いや分かっている。京子を最近付け回していたという女、それしかない。背は女にしては高く、170cmはゆうに超えている。まがまがしい雰囲気のある黒いワンピースを着ており、髪は非常に長く腰のあたりまであった。あたかもホラー映画の幽霊のように、顔にも長い髪がかかっており、表情はよくうかがえない。そして、その女が手にしていたのは、まぎれもなく本物の包丁であった。
 一瞬の硬直ののち、俺は女に飛びかかろうと腰を浮かせたが、女のほうはすでに京子の首筋に包丁をつきつけていた。
「動くなッ!!!!」
こうなるとお手上げだ。俺はどうすることもできない。ものすごい量の汗が全身から噴き出す。女は京子に包丁をつきつけながら床に押し倒し、持っていた縄で京子をしばり始めた。俺は今まで生きていてこれほどまでに自分が情けないと思ったことはない。護身術の1つでも身に着けていれば、女の一瞬のスキをつき、包丁をとりあげ、京子を救い出すことができるだろう。しかし、今の俺には不可能である。俺と京子の距離はたった3m程度。しかし、俺が今ここで飛び出したとしても、俺が京子に到達するまでに女が京子を包丁で刺す余裕は十分にある。俺は固まったまま京子が縄でしばられるのを見ているしかなかった。
 女は手際よく京子を縛り終えた。次は自分か…! 俺が次の手を考える余裕も与えず、女はいきなり俺に向かって突進してきた。俺の体は動かない。しまったッ・・・!!そう思った時には、すでに女の包丁は俺の腹部へと入って行った。腹部に強烈な痛みが走る。俺は椅子から転げ落ち、床にたたきつけられた。動こうとするが、体に力が入らない。女は…!? 女は、なにか液体を床にまいていた。何をする気だ。その液体を見て、俺はすぐにこれから行われることが分かった。女は油のような液体をまいていた。そう――部屋ごと焼き払ってしまおうという魂胆なのだろう。
 そうはさせない・・そう思って俺は動こうとするが、立ち上がれない。女は手早く火のついたライターを油の上に投げ捨て、部屋から立ち去った。スローモーションのようにライターが落ちてゆく。終わった・・俺は目をつむった。
 しかし、床に落ちたライターは、ざぶとんをゆっくりを燃やし始めただけであった。何が起きたか分からないが、どうやら油に引火するのは今のところ失敗しているらしい。しかし、このままでは部屋全体に燃え広がるのは時間の問題だ。とりあえず誰かにこの状況を知らせる必要がある。もう派出所や警察署に直接電話していてはだめだ、110番するしかない。しかし、こういうときに限って携帯電話というのは見当たらないものである。腹部に包丁が刺さった状況では、冷静に携帯電話を探し出すことなど不可能だ。俺は渾身の力を振り絞り、パソコンへとかじりつく。とにかく、外部とつながっていて俺に一番近いところにあるのはこの機械である。何とかして伝えなければならない。掲示板?メール? 焦りが思考に混乱を生み、どうすればいいのか考えがまとまらない。痛みに意識は遠のいていく。画面上に表示されているのは、よりによって『Last Quest』の画面だ。いや…待てよ。ここで誰かに助けを求めれば、誰かが代わりに110番してくれるかもしれない。会話機能を立ち上げ、もう手当たり次第にお気に入りに入っている知人を選択し、会話機能を立ち上げる。そして、震える手で何とか伝えようとした。いつもはブラインドタッチの速さに自信がある俺も、こうなってしまってはキーボードに手をかけるのが精いっぱいだ。なんとか最小の文字数で危機を伝えたい。伝えないといけないのは…住所と、それと…。しかし、俺の体力はすでに限界だった。「へるp@ぷ」震える手でそれだけ打った後、床に再び崩れおちた。もう立ち上がる力はない。徐々に炎はその強さを増し、熱さも徐々に伝わってきた。そこに、誰かの気配を感じた。また、女が来たのか。もう一貫の終わりである。油に引火させることに失敗したことに気付いた女がとどめをさしに来たのだろう。薄れゆく意識の中で、入ってきた女を何とか見ようと顔をあげる。しかし、そこにいたのはさっきの黒女ではなかった。見知らぬ女…と思ったが違うようだ。ずいぶん前に会ったことがあるような気がする。それは…誰だ。そこまで考えて、俺は意識がなくなった。

 次に目が覚めたのは、病院のベッドであった。親が珍しく青ざめた表情でこちらへとりすがってきた。おいおい、こんなに心配されたのは何年振りだろう。
「浩介、あんた大丈夫?」
「助かったのか…いったい誰が助けてくれたんだ」
「あんた、覚えてないの? 志乃よ志乃!」
志乃って誰だっけ…。ああ、俺の妹か。妹…? なんで妹が…? 意外だ。妹が昼間に外に出るのがもはや俺にとっては信じられないことだった。しかも、俺を助けるためにである。俺と志乃は昔から仲が悪く、何年も前に絶縁したものと思っていた。それに、なんで志乃は俺のピンチが分かったのだろうか。そして、俺はふと、意識を失う直前に、自分に関係のあるプレイヤーを手当たり次第に選択し、助けを求めたことを思い出した。まさか、あの中に妹がいたのか。すると、思い当たる奴は1人しかいない。近所に住んでいて、女で、俺と親しい奴。それは「マユ」しかいなかった。
 そういえば、「マユ」とはご近所ネタでいつも盛り上がった。日本中のプレイヤーが参加しているネトゲの世界で、ご近所同士が会うなんてことはそうそうない。今から思えば、最初に話しかけてきたのは「マユ」のほうからだった。俺と友人が携帯電話やインターネット通話で話している内容から、俺のアカウントを探し当てたのかもしれなかった。「へるp@ぷ」という内容だけで志乃が飛んできてくれたのも、俺と京子が携帯電話で相談している内容を聞いていて、あらかじめ状況を知っていたからなのだろう。
 幸い、部屋にまかれたのはサラダ油だった。サラダ油は常温で引火するようなものではないから、火事はざぶとんを燃やした程度で済んだ。俺も刺されたものの、それほど深くなく内臓にも達していないことから、安静にしていれば治療が長引くことはないそうである。帰ったら礼を言わなきゃいけないな。無事家に帰ったときは、まず『Last Quest』を立ち上げて、「マユ」に礼を言おうと思う。いきなり志乃に声をかけるなんて野暮なことをしない。今度は俺が助ける番である。ゆっくり時間がかかってもいい、志乃が部屋から出る日を迎えられるよう、志乃をサポートしていこう。そう俺は決意した。
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別ルート

第六回ヤマケン出品作品です。
この小説はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは全く関係ありません。

『別ルート』

 きょう、僕は自殺しようとしていた。
 僕は小さいころから人づきあいが苦手で、事あるごとに苦労していた。自分で言うのもなんだが、社会への適応力のなさには自信があり、よくここまで生きてこれたなと思う。今までにも何度か危機はあったのだが、いくつかの幸運と偶然が重なって、何とかのらりくらりとこれまで生きてきた。しかし、ここ最近、特に就職してから、これまで怠惰を貪っていたツケが来てしまい、ほんとうにどうしようもない状況になってしまったのである。仕事もろくにできない、人ともきちんと付き合えない。社会に迷惑ばかりかけていて、未来にも全く希望が持てない。こんな自分はもう終わりだ・・・。これまでに何度か死を考えたことはあったが、いざ意気込むと、逆に恐ろしくなってしまい、これまでに実行できたことはなかった。しかし、今日は違った。休日の朝、ふらりと家を出て、特に何も考えずに列車やバスを乗り継いでいたら、いつの間にか人気のない岬にまでたどり着いていたのである。そこは日ごろからイメージしていた自殺にふさわしい場所にぴったりであった。岬には風の音と海鳥の鳴き声しかせず、靄が一面に立ち込めている。高い木や家などはなく、ごつごつとした岩に草がへばりつくように生えているだけという殺風景な風景である。だが、それが良かった。僕は、今日こそはと思い、しばし最後の空想にひたっていたのである。

 そのときだった。突然ボワーン!という大きな音がして、突然目の前に人影が現れた。やばい、これが噂の自殺場所をパトロールする人か!と一瞬ひるんだ。しかし、目の前に現れたのはなんと・・・二次元美少女だった。ついに最期の時を前にして、頭が狂ったか。呆然とする僕を前に、美少女はしゃべりだした。
「私は冥界の自殺抑制特別任務隊極東第14分隊のD2です!よろしくねっ」
 そんな売れないギャルゲーのような設定の冥界人など誰が信じるものか。
「ほんとうはもっと別の姿なんだけど、この世の人をびっくりさせないように、かわいい感じに自分の姿をデフォルメしてるの! ちなみにこれはJapaneseのオタク向けバージョンの姿よ」
 いつか二次元キャラに会ってみたいとは思っていたが、最期に発狂してこんな形で会うとは思っていなかったぜ。
「あなたは狂ってなんかいないわよ。証拠にあなたしか知らないことも知っているわ。たとえば・・」
 そういって、そいつはしばらく僕しか知らないことをべらべらとしゃべった。しかし、それはこの世の人ではない特別な能力を持っている存在ということは証明できるけれども、僕が発狂していないという証明にはならないのではないか。自分が作り出した幻覚だったら、自分しか知らないことを知っているのは当たり前である。
「まあ信じないか信じるかはあなたの勝手だわ。でもね、死ぬ前に一度、あなたが今いる人生のルートを辿らなかったら、どういう運命を歩んでいたか知ってほしかったの。今のルートが、あなたの人生の考えられうるルートでかなり良いほうのルートを歩んでいるから、せっかくだから自殺を考え直してほしいなって思って」
 それは褒めているのかけなしているのかどちらなのだろうか。他にどんな選択肢を選んでも、これよりましになることはなかったと考えると余計に暗澹となるのだが。
「例えば、中学校のとき、私立のB中学校に入れなかったら、いじめにあってすぐ自殺しちゃってたわ。他にも担任がD先生じゃなかったら、今頃ニートになって、おまけにこころの病も併発して一歩も外に出ることはない生活を送ることになってたのよ。大学でC部に入らずにE部に入っていたら、ブラック企業に就職してにっちもさっちもいかなくなって発狂してたし」
 言ってることはかなりヒドイが、確かにありえる話かもしれない。しかし、お前が最善級というこのルートだって、いまBAD ENDを迎えようとしているじゃないか。
「今のあなたはだめだわ。だって、他のルートと違って、まだ復活の可能性が十分にある。あなたが少し今より努力すれば、未来は開ける。それなのに、あなたは努力しようとせずに終わりを選択しようとしている。それがもったないないし、けしからんと思って、こうして来てるってわけ」
 うーむ。
「そもそもあなた、何が行き詰ったっていうの? そんなの、他のルートに比べたら屁でもないことだわ。他のルートは、どれもにっちもさっちもいかなくなって、解決策が皆無になってしまっている。でもあなたには、問題の解決方法が幾通りもあるのよ。そもそも、あなたやり残したことはないの? 本当に見たいマンガ、アニメ、ゲーム、全部したの?」
 そう言われると心が揺らいでくる。まだしていないことだってたくさんあるし、やっていないこともたくさんある。読もうと思ってまだ読んでいない作品だって山のようにあるのだ。
「すこーし、心が揺らいできたでしょ?」
 目の前の可愛い美少女にこうして説得されると、死のうと思っていたさっきまでの意気込みが萎えてきてしまった。それに、ちょっと頑張ろうかという気に、
「でもね、残念! あなたはここで終了してもらうわ」
 あっと思う前に、その少女の持つステッキに自分はぐさりと刺されていた。やられた。なぜ・・・。
 そして、目の前を見て驚愕した。そこには、自分が立っていた。
「俺は別ルートのお前だ。俺はこんなに苦労しているのに、別ルートのたいして努力もしていない『俺』が死ぬとかふざけた真似をしていると聞いて飛んできたんだ」
 別ルートの「僕」は、にらみつけるように僕を見下ろしている。
「俺はお前にすり替わってきょうからこの世界で生きさせてもらう。死なれて自殺したという事実が確定して、死体がこの世に残ってしまうとすり替われないからな、お前が自殺する直前に来させてもらった。美少女の姿を借りたのはお前を油断させるためだよ」
 お前が僕にすり替わるだと? それじゃあ、そのお前のいう「別ルート」は、お前がいなくなることになって、おかしくなるじゃないか。
「だから、お前を俺のいたルートに移すんだよ。普通の意識レベルじゃ、ルート間の移動はできないから、ちょっと刺して瀕死状態にさせてもらった。だけど命に別条はないから安心しな! あ、ちなみに刑務所の中だから、当分自殺はできないと思っておいたほうがいいぜ? じゃあな!」
 そう言って「僕」は、靄の向こうへと去って行った。僕はどうすることもできないまま、意識が薄れていった。

匿名追跡

第五回ヤマケン出品作品です。

『匿名追跡』

『あなたのお兄さんがちょっと行方不明になっているんですが、心当たりありませんか?』
 勅使川原美紀子がそんなメールを受信したのは、大学の試験も終わって一息ついた3月のある日のことであった。メールの差出人は、美紀子の兄、勅使川原孝太が所属している大学のサークルの代表、田宮からであった。田宮には、美紀子も何度か会ったことがある。普段から兄とはあまり仲が良くないとはいえ、行方不明と聞いては放ってはおけず、美紀子は、田宮に詳しく話を聞くことにした。確かに、ここのところ兄にメールを出しても返事が来ず、電話も電波のとどかない場所か電源が入っていないことを伝える自動応答メッセージが流れるだけであった。兄が妹のメールに返信しないのは日常茶飯時なので、美紀子はあまり気にしていなかったのだが。
 数日後、はるばる片道2時間半かけて美紀子は田宮へ会いにいった。美紀子は実家に近い大学に進学したため、現在も実家住まいであるが、兄の孝太は隣県の大学に進学したため、一人暮らしをしているのである。田宮も一人暮らしであり、兄の通う大学の近くに住んでいた。
 駅前で待ち合わせをしたが、美紀子は田宮に何度か会ったことがあることもあり、すぐに田宮を見つけることができた。美紀子はせっかくなので兄の大学を見ていこうかとも思っていたが、大学は坂の上にあって登るのが面倒ということで、結局、駅前の喫茶店で話をすることとなった。今にも雨が降り出しそうな天気で暗いこともあり、店の中は薄暗い。コーヒーを飲みながら、田宮は切り出した。田宮によれば、孝太はサークル活動に熱心であり、試験期間中もちょくちょく部室に顔を出していたのであるが、試験が終わると、ぱったりと姿を見せなくなったのだという。また、アパートの部屋を訪れても、いつも留守だということであった。
「それなら、一度部屋の中を見てみましょうか?」
美紀子は、兄の部屋の合鍵を持ってきていた。
「うーん、勝手に入ってもいいのかなあ」
田宮は躊躇する。
「妹の私が許可します、大丈夫です」
こうして、2人は孝太の部屋を捜索することにした。
 孝太の部屋は、閑静な住宅街の一角にある、ごく普通のアパートにある。中を開けてみると、すぐに変なにおいが鼻をついた。
「うわーっ、お兄ちゃんゴミ捨ててないじゃん」
こともあろうか、玄関に生ゴミが放置されている。まだ春とはいえ、さすがに臭う。
「ゴミを捨てずに旅行にいっちゃったのかなあ」
田宮が部屋の中をのぞく。
「うわぁ、メシも食いかけだし、パソコンもつけっぱなしじゃねえか」
田宮が指差すその先には、食いかけの菓子パンと、封を開けて手のつけられていないコンビニのおにぎりがテーブルに転がっていた。そして、電源の入ったままのパソコンがうなりをあげている。
「だらしねえなあ、こんなにいろいろほったらかして、どこ行ったというんだ」
田宮が愚痴る。しかし、美紀子は違和感をおぼえていた。
「何日も留守にするのに、こんな状態で出かける人はいないわ」
「さすがにそうだよなあ…まさか、ほんとうに何か事件に…」
田宮は言いかけて、実の妹が目の前にいることを思い出し途中で口をつぐんだ。しかし、その可能性もないとはいえないのだ。
 結局、家族に相談し、場合によっては警察に捜索願いを出すことも検討しよう、という話でまとまった。この部屋の様子はあまりに不自然であった。田宮は、このあとアルバイトがあるということで、夕方になる前に帰っていった。ひとり兄の部屋に残された美紀子は、何か手掛かりはないものかと兄のパソコンをのぞいてみた。
 起動していたのは、インターネットブラウザだけであった。何かワイセツなものでも見ていたら後でからかってやろうと美紀子は考えていたのだが、意に反して、表示されているページはやたら字ばっかりのサイトであった。
「電子百科事典か…」
そこに表示されていたのは、誰もが編集できることで有名な、とある電子百科事典であった。専門家が執筆していないため、多少内容の正確さに欠ける反面、誰もがすぐに編集できることから、速報性やマイナーな項目の充実という点では優れている。美紀子も、調べ物やレポートを書くときに困ったときには良く使う。しかし、目の前の画面に表示されているのは、いつも見ている百科事典のページではなかった。
「管理者ページ…?」
よく見てみると、そこは電子百科事典の管理者ページであるようであった。何やらユーザーの投稿制限や削除ツールなど、よく分からないものが並んでいる。
「電子百科事典の管理者なんてしてたんだ」
少しでも手がかりになればと思い、実家に戻ってから、アルバイトが終わったころを見計らって田宮に電話で連絡してみた。田宮はインターネットに詳しいということもあり、この事典について聞いて詳しく情報を得たいという思いもあった。
 美紀子の話を聞いた田宮は驚いた様子であった。田宮によれば、電子百科事典の管理者というのは50人くらいしかおらず、簡単になれるものではないらしい。美紀子が孝太のユーザー名を伝えると、田宮はしばらくの間沈黙してパソコンを操作している様子であった。美紀子がまだかといらいらし、電話を切ってやろうかと思い始めたそのとき、田宮がようやく口を開いた。
「うーん、なんだか孝太たいへんなことになってたんだなあ」
「どういうことですか?」
「どうやら荒らしに付きまとわれていたみたいだ」
 荒らしとは、インターネットの世界では掲示板などでしばしばみられる光景だ。電子百科事典とて例外ではないらしい。
「ある荒らしを管理者権限で投稿制限したのが恨まれて、いろいろと嫌がらせをうけていたようだ」
田宮は言う。田宮の指示どおりに百科事典のページを開いてみると、確かに嫌がらせを受けているのを美紀子も確認することができた。
『この独裁者!学生の分際で調子に乗りやがって、今にみてろ』
『今すぐ首を吊って死ね!!!!!!!!!!!!!!!!』
こういった書き込みが断続的になされていた。
「もしかして、今回の件がこれと関係が…?」
「うーん、関係なくはないかもねえ。鬱になって自分探しの旅に出ちゃったのかも」
田宮は冗談めかしていうが、美紀子は心配になってきた。
「いや、ストーカーというのは案外怖いものなんですよ」
美紀子は、ストーカーに付きまとわれた友達のことを思い出していた。美紀子の友達は、マンガの二次創作作品を作るなど、いわゆる同人活動をしていた。しかし、同じ女性の読者の1人がストーカー化し、どうやったのか住所を突き止めて部屋にまで押し掛けてくるという騒ぎになった。ストーカー行為は次第にエスカレートし、最終的に警察まで出る騒ぎとなったのであった。
「うーん、似たような話は聞いたことあるなあ」
田宮も、ようやく心配になってきたようである。
 なお、その夜の家族会議では、孝太の捜索願いは2~3日様子を見ることになった。どうやら、親は「どうせふらふらと遊んでるんでしょ」と危機感が全くない。楽観主義者は困ったものだ、と美紀子はため息をついた。
 仕方がないので、美紀子はその夜から電子百科事典について自分なりに研究をしてみた。調べているうちに、電子百科事典では、すべてのユーザーの投稿履歴が残る仕組みであるなど、いろいろとシステムが分かってきた。ためしに兄の投稿履歴を見てみると、初期はゲームやテレビ番組などの記述しかしていないのに、最近になるにつれて大学の講義でやるような学術的な項目を投稿していた。趣味とはいえよくやるものだと美紀子は思う。ついでに荒らしの投稿履歴もみてみた。鉄道記事の写真をすべて自分の撮影した写真に無理やり差し替えたり、ゲームの評価をめぐって編集合戦をしたり、他のユーザーへ罵声を浴びせるなど、なかなか壮絶な履歴である。その中で、ひとつ気づくことがあった。鉄道やゲームなどの編集が主なのであるが、その中に市民会館やスーパーなど、まじめな投稿も散見される。それらを書き出してみると、どうもT市周辺の記事が5本ほどあるということを発見した。どうやら、この荒らしはT市在住なのかもしれない、と美紀子は思った。
 翌日、田宮にそのことを伝えてみた。
「おお、よく見つけたね。けっこうブログとか何気ない記述から自宅の場所がばれたりとかあるから、インターネットというのはこわいんだよなあ」
田宮は言う。
「それに、こいつの投稿した写真を今見てるんだが、鉄道写真のほかにT市役所とかT市立博物館の写真をアップロードしてるな。これはビンゴかもしれない」
田宮に言われて美紀子も見てみると、確かにその通りである。荒らしがアップロードした写真は、ほぼすべてが鉄道写真なのに、一部市役所やスーパーなど、関係のないものが混ざっている。そして、それは全てT市関連なのである。
「しっかし、鉄道写真の多いこと。特に、さよなら運転や一日限定運転などのときの写真が多いみたい」
美紀子が指摘する。
「おお、最近のこの近辺の地方で行われたイベント運転は全て網羅してるな。すごい執念だ。こういうのって罵声大会になるからいやなんだよなあ」
田宮がぼやく。
「罵声大会ってなんですか?」
「実は俺も鉄道写真は撮るほうでね。昔はこういったさよなら運転なども撮りに行ったこともあるんだが、これは本当にひどいところだ。修羅場といってもいい。何としても自分のカメラに写真を収めようとする輩が、罵声を浴びせあうんだ。挙句の果てには、動画投稿サイトに罵声大会として動画がアップロードされる始末だ。最近では俺も怖いから行ってないな」
「ふーん、世の中には色々な趣味があるんですねえ」
美紀子にはいまいち理解できない趣味である。
「…とすると、今度のさよなら運転にこいつは現れるかもな」
田宮がふと思いついたように言った。
「近々そういうのがあるんですか?」
「うん、有名なブルートレインがあさってにラストランなんだ。たぶん鉄道マニアなら誰でも知っていると思う。さらに、T市付近には絶好の撮影ポイントがある」
「そうすると、本当に現れるかもしれませんね」
「まあ、実際に現れても俺たちにはどいつだが見分けなんてつかないが、カメラを最近使ってないし、ちょっと行ってみるのも面白いかもな」
 というわけで、あれよあれよという間に2日後にT市へ乗り込むことが決まった。

 2日後、2人はT市に集まった。T市は、美紀子の実家からは1時間ほどであるが、田宮は3時間以上かけてわざわざやって来た。
「うわーすごいカメラですね」
「一眼レフというカメラで、けっこう高いんだよ」
田宮もけっこうやる気のようだ。しかし、撮影ポイントに集まった2人は自分たちがお遊び気分であったことを悟る。撮影ポイントは、通過までまだ時間があるというのに、黒山のひとだかりである。しかも、殺伐とした雰囲気で、素人には近づきがたい。何か嫌な視線も感じる。2人はうろうろしていたが、とても入る隙などない。そのうちに疲れ果て、美紀子は、人の少ないところで座り込んだ。
「疲れたし、人も少ないこのへんでいいんじゃないですか」
やる気なく美紀子はいう。
「いや!来たからには真剣にやるぞ!」
田宮は、いやに張り切って人だかりのほうへ駆けて行った。美紀子は、兄探しをしているのに、自分たちはいったい何をやってるんだとぼやきつつ、特にすることもないので携帯をいじくっていた。意識は携帯の画面一点へと集中する。
 そのときである。ふいに画面が暗くなった。自分の前に人が立ったからだ、と悟る暇もなく、美紀子は口をふさがれ、草むらに強引に引きずり込まれた。
「うう・・」
必死に抵抗するが、非常に強い力で押さえ込まれ、身動きできない。しまった、と美紀子は感じた。周りの人は自分のカメラの設定に夢中で、この異変に気付かない。
(まさか、荒らしに見つかった?…でもどうやって私が妹だと分かったの…)
相手は逆光で顔はよく見えない。しかし、悪意に満ちた表情は感じ取れた。そいつは手を振り上げる。美紀子はその手の先に、光るものを見た。ナイフだ。
(……っ!)
もう終わりだ、と美紀子が強く目をつぶった瞬間、後ろから「うおおおおお」という雄たけびが聞こえ、次の瞬間にパーンという音がした。いままさに美紀子を襲おうとしていた暴漢は、地面へと崩れた。はっと美紀子が頭を上げると、一眼レフを手に下げた田宮の姿が見えた。異変に気づいた田宮が、駆け付けたのであった。
「田宮さんっ!」
その音で、周りにいた人たちも異変に気付き、駆け寄ってくる。
「暴漢です!助けてください!!」
さすがの暴漢も、多人数にはなすすべもなく、取り押さえられた。
「田宮さん…ありがとうございますっ! ってそれ…」
田宮の手には、壊れた一眼レフカメラが握られている。
「そ、それで殴ったんですか?」
「いやー咄嗟に武器になるものといったらこれしかなかった。この恩は高いぞー」
田宮は安堵した表情で、そう笑った。

 それからは、たいへんであった。警察やら救急車が来て現場は騒然となった。犯人はめでたく現行犯逮捕で連行され、2人も当事者としてけっこう長い時間事情聴取を受けた。そして驚くべきことに、逮捕された犯人は、なんと男性1人を自宅に監禁していることを白状した。警察が急行したところ、美紀子の兄、孝太が監禁されているのが発見された。孝太はすぐに保護され、病院へ搬送された。しかし、目立った外傷もなく、若干脱水症状を起こしている以外は異常なしとのことであった。相次ぐ非日常の出来事に美紀子は目の回る思いであったが、孝太が監禁されていたが無事保護されたということを聞くと、驚きと同時に安堵で力が抜けてしまった。こうして、3人の大学生活の中でおそらくもっとも長いものとなるであろう波乱の1日は終わったのである。

 数週間後、孝太と美紀子は田宮へのお礼を兼ねて、夕食をおごるため、焼き肉に招待した。
「それにしても、犯人はなぜ私がお兄ちゃんの妹だと分かったのかしら」
「それはね、実は自分が悪いんだ」
孝太が申し訳なさそうに口を開いた。なんでも、孝太が電子百科事典で管理者をしているとき、電子百科事典のメーリングリストにメールを投稿する機会があったのだが、そのときメールソフトの設定の不備で、孝太の実名がメールの差出人の欄に表示されてしまい、実名がメーリングリストのユーザーにばれてしまったのだという。
「でもそれだけで何で」
「それはね」
今度は田宮が口を開く。
「荒らしは『勅使川原孝太』でインターネットを検索したんだ。そうして、町内会のお祭りのページを発見した。そこに君たち2人が名前入りで載っている写真があったというわけ。君たちは勅使川原という変わった名字だろ? だからありふれた名前より余計に検索に出やすかったんだ」
「町内会? そういえばお祭りのときに写真をとったような…」
「町内会にはもうすでに写真を削除してもらっている。それにしても、俺の不注意でほんとうに迷惑をかけてすまん」
孝太がほんとうにすまなさそうに謝る。
「そういえば、どういう経緯で監禁されたのか聞いていなかったな」
田宮が興味深そうに聞く。
「電子百科事典には専用のチャットもあるんだが、そこで、ある鉄道に詳しいユーザーとかなり話が盛り上がったんだ。そのうちに、オフ会を開こうという話に。そいつは実は善良なユーザーのふりをしていた荒らしだったんだ」
「すごい執念だわ」
「最初は荒らしって分からなかったんだけど、人の少ない通りに来た時にいきなり豹変してね、ナイフをつきつけられて荒らしの家に押し込まれたんだ…」
「もう…何やってるの。ほんとうにお兄ちゃんは危なっかしいんだから…」
「正直、妹を危ない目に合わせる羽目になってものすごいへこんでる。ほんとうに申し訳ない。田宮も迷惑かけてすまん」
「いやいや、貴重な体験ができたよ」
田宮は笑って言う。
「それにしても、インターネットって、思ったより怖いなあ」
美紀子はしみじみと言った。インターネットをよく使う自分も人ごとではないかもしれない、と美紀子は思った。情報というのは思わぬところで漏れる。そして、インターネットはそれを無限大に拡散する危険性をはらんでいるのである。



あとがき
 某百科事典を題材に書いてみましたが、この小説はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは全く関係ありません。なお、私まよいまつりも、某百科事典で目立った活動をしているわけではありません。また、小説中に出てくる百科事典のシステムは、モデルにした某百科事典とは若干異なります。ご了承ください。

社会復帰

『社会復帰』

 Yは、毎日に疲れていた。毎日が死ぬほどつらいというわけではなかったが、特におもしろいこともなかった。将来には不安感しか覚えなかった。死にたいなあと漠然と思うこともあったが、本当に死にたいわけでもなかった。その漠然とした不安へのいらいらは、母親へと向けられた。ささいな母親の言動が癪にさわり、暴言を吐くこともしばしばであった。
 ある土曜の朝も、Yは母親と些細な喧嘩をした。だが、母親は特に平気な様子であった。ここ数日、母親がYの暴言に対して何とも思っていないような態度をとることに、Yは不思議に感じていた。
 その日の夜、Yは用事を済ませて家の前まで帰ってきたときに、玄関に二人の人影があるのに気付いた。とっさに身を隠し、よく目を凝らすと、母親と見知らぬ男が話していると分かった。
(こんな時間に誰と話しているんだろう…あやしい)
 Yはそう感じて、聞き耳を立てようとしたが、ちょうど玄関から見送るところだったらしく、見知らぬ男はすぐに立ち去ってしまった。Yは何があったのか非常に気になったが、わざわざ聞くのも面倒だと感じ、見なかったことにしておいた。夕食をとると、疲れが出たのか非常に体がだるくなり、すぐに寝てしまった。
 次の日曜の朝、Yは違和感を覚えて目を覚ました。体が非常にだるく、船酔いしたときのような気持ち悪さを感じた。Yは朝食もろくにとらず、家を出発した。もともとYは外に出るのは好きではないたちだが、この日は身のまわりに問題が山積しているのに嫌気がさして、ふらっと外に出たい気分になったのだ。温泉などをふらふらと回った。
 結局、けっこう遠い山中にまで足をのばしたこともあり、帰りは夜になった。Yはもう少しふらふらとしていたい気分ではあったが、あまり夜遅くなると明日に響くため、仕方なく家へと車を走らせた。峠は濃霧がかかっていた。その峠付近は、よく霧がかかることで知られていた。霧の中では、ライトをハイビームにすると乱反射するため、よけいに見づらくなる。Yはライトをロービームにしつつも、人はおろか対向車もほとんどいない山道ということで、かなりの速度で走行していた。速度をあげることで、日頃の鬱憤を晴らそうとしたのだった。
 と、そのときだ。ふいに前方に影が横切った。Yは一瞬何が起こったか分からなかったが、次の瞬間には思いっきりブレーキを踏んでいた。車は聞いたことのないような悲鳴をあげて速度を落とすが、すでに時遅く、ものすごい衝撃がYを襲った。
(しまった、何が起こった! 鹿か? 逃げないと!)
 Yは混乱し、その場を逃げるようにかえってスピードをあげた。気になって道路標識を確認すると、「60」という表示が目に飛び込んできた。Yはこのとき時速百キロほどで走行していたので、四十キロオーバーとなる。
(四十キロオーバー…まずい、かなりの速度超過だ)
 Yは急に速度を落とした。それと同時に、徐々に冷静になっていった。
(さっき当たったのは鹿か…? しかし、もしかしたら人かもしれない。いや、まさかこんな山の中で…。 しかし、もし人だったらひき逃げということに…)
 Yはどんどんと不安になっていった。何が起こったのか確認するため、路肩に車を止めて前を見てみた。前は思ったよりいきおいよくへこんでいた。そして、血のようなものも見えた。それを確認したとき、一気にYは恐ろしくなってきた。足が震え、力が抜けてくる。
(血…血だ! そしてこの壊れよう…。 人か、人に違いない! いや、鹿も血は赤い、鹿に違いない。しかし、もし人だったら…)
 Yは混乱する頭を抱えつつ、運転席に戻った。心を落ち着けるため、コーヒーを一口飲んだ。
(よし、確認するために現場に戻らないと…。でも、もし人だったら? 人だったらひき逃げになってしまう…。いや、だからこそすぐに戻らないと…。だが、すでに別の人に発見されていたら? あとから戻ってきた俺を見たら、ひき逃げをしたと思うかもしれない…。だが、まだ発見されていなかったらひき逃げにはならないが…)
 Yは悩んだ。しかし、その間にも時刻は刻一刻とすぎていく。その時だ。甲高いサイレンが遠くから聞こえてきた。霧にはばまれてその姿は見えないが、救急車であることは明らかである。
(やばい!)
 とっさにYは車を急発進させ、農道のような横道へと逃れた。舗装されておらず、ものすごい振動が車を襲う。しばらく行ったところで、完全にエンジンを停止して息をひそめた。救急車は、すぐ後ろを通り過ぎていった。
(見つかった…! 誰かが見つけて救急車を呼んだに違いない…! そうすると、俺が轢いたのは人だったということだ…。なんということだ! 今から戻っても間に合わない! いや、もしかすると別の患者かもしれない…。だめだ! そうだとしても向かう途中で俺が轢いた人を見つけられてしまう…。逃げないと)
 Yはどうやって逃げるか考えをめぐらす。しかし、どうやっても逃れられそうにない。このような山道では、幹線道路を通るよりほかに帰るすべはない。しかし、幹線道路にはNシステムと呼ばれるナンバープレートを記録する機械がある。無論、犯罪などが起きたときに、犯人の車が通過していないか調べるなどのためにある。
(万が一、Nシステムにかかったら…。しかも、前は大きく壊れていていかにも怪しい。街に出たら通報されるかもしれない。それ以前に、道路管理のカメラにも映ってしまう…)
 Yは頭を抱えた。どうしても解決策が見つからなかった。
(どう考えても、警察に見つかってしまう。ひき逃げ犯の罪は重い。もう今勤めている会社に居続けることは無理だろう。犯罪をしておいて再就職できるのか…? もし実刑になったら? 賠償金は?)
 Yは、一瞬のうちに人生が暗転してしまったことを認めざるを得なかった。
(終わった…。何もかも終わってしまった…。何でこんなことになってしまったんだろう…。思えば、不安や不満はあったが、決して生きられないという生活ではなかった。昨日に戻りたい。ああ、こんな絶望的な状況に比べたら、昨日までのことは何ということはない日々だった。もっと頑張って日々を過ごすべきだった…)
 Yは車を捨ててふらふらと歩いた。ガードレールから崖を見下ろした。いっそのこと、ここから身を投げてしまおうかと考えた。その時、ふと肩を叩かれた。振り返ると、白衣を着た見知らぬ男がそこに立っていた。
「お疲れさまでした。現実世界へ今から戻ります」
 男がそう言った瞬間、視界が暗転してYは気を失った。
 しばらくたって、Yは目を覚ました。しばしの間、ぼんやりと天井を見つめていたが、徐々に昨夜のことを思い出した。
「あれはどうなった!」
 Yは飛び起きて居間に飛び込んだ。
「母さん、事故のことはどうなった!? 警察は何か言ってきた? とりあえず会社に行く準備をしないと…!」
「何を言っているの、きょうは休日よ」
 その言葉にYは耳を疑った。ついていたテレビを見ると、NHKの天気予報をしていた。日付は、日曜の日付だった。
「あれは…夢だったのか…」
「何を寝ぼけているの、さっさとごはん食べなさい」
 Yは、これほど夢で良かったと思ったことはなかった。朝食をとる間も、何度も涙ぐみそうになった。これからは、精一杯毎日をがんばって生きようと心に誓った。反発してきた親にも孝行しようと誓った。
「それにしても、あんなに現実感のある夢があるとは…」

「ありがとうございます、効果てきめんでした」
 Yの母親は、満足という顔で男に話しかけた。場所はとある喫茶店である。
「いえいえ、お役に立てて光栄です。私どもの事業は、厚生労働省の『生活荒廃者社会復帰事業支援プログラム』にも指定されていて、補助金も受けております。これまで、家庭内暴力をふるう方やニートの方々にも絶大な効果を発揮しております。私どもの薬と機械を使えば、人に自由に夢を見せることができます。『生活荒廃者』の程度に応じて、本人に夢と知覚させる程度から、現実の記憶と錯覚させるレベルまでさまざまな強度に設定できます。また、お困りのことがあれば、何なりとお申し付けください」

第四回ヤマケン例会出展予定作品のテーマ発表

遅くなりましたが、
第四回ヤマケン例会出展予定作品について、
事前に自分に課したテーマを発表しておきます

・ 「非日常」
・ 「反省」
・ 「発見」
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